大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(行コ)5号 判決

控訴人

東京入国管理事務所主任審査官

佐藤義英

右代理人

斎藤健

外七名

被控訴人

尹秀吉

右代理人

猪俣浩三

藤本博義

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張、証拠関係は次に附加するほか原判決事実摘示のとおりであるからこれをここに引用する。

(控訴人および被控訴人の主張)

別紙記載のとおりである。

(証拠関係)〈略〉

理由

一被控訴人の密入国と退去強制手続の経過および密入国後の行為と韓国の政治情勢(本件退去強制処分発令までの)についての当裁判所の判断は原判決理由第一、第二(原判決五一丁表二行目から同五八丁裏末行まで)と同一(但し原判決五二丁表九行目「各証言」の次に「当審証人金仲泰の証言」と加入する。)であるからこれをここに引用する。

二原審における鑑定人大平善悟の鑑定の結果、によれば「政治犯罪人不引渡の原則は、自由と人道に基づく国際通誼ないし国際慣行であるが未だ確立した一般的な国際慣習法であるとは認められない。

しかし他面において、相当多数の国が憲法その他の国内法において、政治犯罪人不引渡の原則を規定しており、その限りでは政治犯罪人は引渡してはならないことが、その国の国内法としては確立している。しかし、政治犯罪人を引渡してはならないという国家の国際法上の義務が一般に確立しているのではない。国家は原則としてその領域にある他国の犯罪人を引渡す義務がなく、犯罪人引渡条約を締結している場合にその条約当事国で相互に引渡義務が生じるが、その場合でも、その除外例として政治犯罪人の引渡を拒む権能があるにすぎない。政治犯罪人が他国に亡命した場合、その政治犯罪人を本国に引渡さないのが、文明国の一般的な慣行であるけれども、厳密に言えば亡命国は政治犯罪人を庇護する国際法上の義務があるわけではない。政治犯罪人不引渡の原則は人道上の要請にとどまつており、未だ法的な義務の要請にまで高まつていない。

国際法上において政治犯罪人を庇護するのは、亡命国の権能であつて義務ではなく、個人として政治犯罪人は亡命国に対し不引渡を請求する国際法上の権利を有するものではない。わが国の逃亡犯罪人引渡法(昭和二八年法律第六八号)は一般に条約の有無を問わず政治犯罪人の不引渡を規定したものとは認められない」以上のとおり解することができこのことは、原審鑑定人小田滋の鑑定の結果、原審鑑定人大平善悟の供述、原審証人小田滋の証言によつても認め得られるところである。原審鑑定人高野雄一の鑑定の結果、原審証人高野雄一の証言中右と見解を異にする部分は採用できない。

三原審における鑑定人大平善悟、同小田滋、同高野雄一の各鑑定の結果、原審鑑定人大平善悟の供述、原審証人小田滋、同高野雄一の各証言によれば「政治難民をその意思に反して迫害の待つ国に引渡してはならないことは国際慣習法として確立していない。また政治活動を理由に政治難民として保護在留を求めることは当該難民個人の国際法上の権利としては考えられない」ことが認められこの認定に反する資料はない。

四以上の認定によれば、被控訴人が仮に政治犯罪人あるいはこれに準ずる者と認めえられるとしても、本件退去強制処分が国際慣習法に違反し、ひいては、憲法第九八条二項に違反することになり無効であるとの主張は到底採用し難い。

五前出鑑定人高野雄一鑑定の結果によれば「政治犯罪人不引渡の原則が適用されるのには、逃亡者が政治犯罪を犯した者として相手国で有罪判決を受け或は起訴されている事実、或は引渡が政治犯罪の裁判又は処罰のため請求され或は事実上そのために行われるということの証明(例えばそのような犯罪について逮捕状が出ている事実の証明)が必要である。すなわち政治犯罪人不引渡の原則を適用すべき政治犯罪人というためには叙上の条件が必要であり、そのような条件が備わらないにかかわらず客観的にせよ、単に将来本国で処罰を受けるおそれがあるとか犯罪人として、引渡請求をうけたり、逮捕状が発布されたりするおそれがあるというだけでは、また主観的に本人がこれらの容疑を受けることの恐怖や嫌悪をもつているというだけでは、この引渡してはならないという原則には入らない」と解される。

そうだとすると被控訴人が政治犯罪人不引渡の原則を適用される政治犯罪人でないことは上来認定の事実関係からして明らかであり、ことに被控訴人はわが国に不法入国した者であつて、その後一〇年間もそのまま放置されていたとはいえわが国から何時強制退去させられるかわからない立場にあつたことを知つていたと思われるのであるが、不法入国後一〇年余を経た後、前示のとおり南北朝鮮統一運動に共鳴し、趙鏞寿の助命運動等を行つたのであり、昭和三六年一〇月被控訴人が民団栃木県本部の執行部を辞任して以後はこれに類する政治活動を行つていたとの主張も立証もないし、もとより、被控訴人が韓国からわが国における前示政治活動の故に訴追されたとか逮捕状が出ているとか、すでに捜査が開始されたとかいう事実の主張も立証もない。

六さらに、被控訴人を本国に送還することが人道上許されないかどうかを検討するため、進んで被控訴人が韓国に送還された場合処罰されることが客観的に確実であるかどうかについて考えて見る。

(一)  〈証拠〉によると被控訴人は昭和三五年七月二九日に行われた大韓民国(以下韓国という)国会議員の選挙に社会大衆党から立候補し落選して帰日した裵基鎬同三六年四月同国在日居留民団(以下民団という)団長に推せんし、同人は民団団長に当選したのであるが、社会大衆党が朴政権から敵性団体とされていたとしても同党はまもなく懐滅し裵は一時的に同党に属していたもので韓国において同人がどのような評価をうけているか不明であること、民団そのものは韓国の国法を遵守し日本における韓国人の権限を広くし親善をはかる自治団体であつて韓国政府から敵性視されるような団体ではないことなどが併せ認められ、被控訴人が裵基鎬を民団団長に推せんしその当選に協力したことによつて韓国において刑罰に処せられることが確実であるとはいい難い。

(二)  〈証拠〉を総合すると、次の諸点が明かである。すなわち、前出韓国国会議員選挙に裵とともに社会大衆党から立候補した趙鏞寿がいわゆる民族日報事件につき西紀一九六一年(昭和三六年)八月二八日革命裁判所において死刑の判決をうけたのであるが、右判決理由(甲第二六号証一六九頁以下、甲第三号証)によると趙鏞寿の犯した罪というのは、同人が単に「(1)曹奉岩の助命運動をした(2)社会大衆党員である(3)新聞を発行して南北朝鮮の平和統一を主張唱導した」こと自体が犯罪を構成するというのではなく、「被告人(趙鏞寿」は、曹奉岩の秘書で北韓傀儡集団社会安全省第三処長全ヤンジュン及び同集団工作網責安永善から指令を受けた対南間諜の嫌疑で起訴され公判中保釈され日本に密航逃避した李栄根と随時接触し同人が趙鏞寿を通じて送付して来た資金を受け、他の者と合同して日刊新聞社民族日報社を創設して社長に就任し同新聞を発刊し、大韓民国の赤化をねらつている以北傀儡政権集団の合法を仮装した赤色侵略方法として、彼らが一貫して主張、宣伝している所謂平和攻勢即ち間接侵略政策であるのにも拘らず、利益になるとの情を知りつつ上記新聞紙面を通じて以北傀儡集団の主張内容と相応じた韓国の中立化と自主平和統一に先だつ南北協商、経済、書信、文化交流及び学生会談等を積極的に賛同、推進するとの旨で右判決理由第一の(1)ないし(18)等の各題目下に社説、論説、記事等を掲載、発刊するようにし、これを宣伝、煽動することによつて反国家団体である以北傀儡集団の活動を鼓舞同調した」ことにあるものと理解することができ、民族日報社は特殊犯罪処罰に関する法律(原判決別紙第二、この法律その他の被控訴人主張の法律が韓国で制定されていることは当事者間に争がない。)第六条の社会団体に当ると判断されたことによるものと認められる。

そして趙鏞寿が右のような判決を受けるに至つたのは専ら右判決にいう「以北傀儡集団」から流れた資金を得て同集団に同調する活動を行つたことが問題とされたと考えられる(当審証人裵基鎬の証言もこのことを裏付けている)。したがつて同じく南北統一運動を行つたにかかわらず李福元は韓国に渡つても処罰されなかつたのであり、被控訴人の行つた前叙の南北統一運動も右判決にいう趙鏞寿自身と同じような意図があつたものとは認められず、被控訴人が共産党員であつたりその同調者であつたとも認められない。かえつて被控訴人らが行つた趙の助命運動、嘆願は純粋な人道的立場から行つたものであつて前記社説によると被控訴人は、趙は右判決に傀儡政権といわれる北朝鮮政権に反対していたもので、その利益に便乗するものでないと信じていたことが明らかであり、被控訴人らが南北統一を主張していたのはイデオロギーを超えた朝鮮民族全体の悲願の達成をねがうものであつて、右判決にいう傀儡集団に同調しようが為でないこともまた明らかである(甲第八号証、第九号証論説)。また日比谷における民衆大会は流会となつたが趙救命は反共の立場で極刑からこれを救おうとする純粋な気持を表明しようとする民団栃木県本部に対し朝鮮総連の謀略に乗ぜられまいとする民団中央総本部の意見の相違によるものであつて、いずれにせよ人道上の立場からの救命運動であつたにすぎないことが認められる。(甲第四号証記事)。このような立場からの朴政権の攻撃が韓国の法律により処罰されるものでないこと成立に争のない乙第四号証から十分推測することができる。

(三)  被控訴人が日本社会党と親善の実を挙げたとしてもこれをもつて被控訴人を共産主義に共鳴する者として、その挙示する韓国の諸法律に違反するものと断定することはできない。もつとも原審における被控訴人本人の供述中に日本社会党は韓国の現政権から見て敵性団体である旨の部分があるが、韓国の法律上又は判例上右党を反国家団体と定めまたは認定したとの証拠はないのであるから右供述によつて右党を韓国法における反国家団体と解することはできない。

以上のとおりであつて、死刑判決をうけた趙鏞寿の場合と被控訴人の場合とを同視することはできないのみならず、韓国において何人を政治犯罪人とするかは同国の政治思想刑事政策上決定されるべき問題であつて他国においてみだりに韓国人を同国の政治犯罪人であると断定し同国の法律の適用を云々することはその可能性が疑う余地なく顕著な場合以外許されないと考える。

七その他の本件各証拠を検討して見ても被控訴人が韓国に送還された場合、その政治活動につき処罰されることが客観的に確実であると認むべき的確な証拠はないし、また右以外の迫害が待つているとの主張立証もない。

〈証拠〉は被控訴人が韓国に送還された場合その政治活動の故をもつて処罰される確実性があると断定することはできないことの裏付けとすることができる。

八本件退去強制処分は出入国管理法に基づき密入国者を送還する手続で政治犯罪人不引渡の原則とはその性質を異にする別個の処分であつてこれをもつて政治犯罪人を請求国に引渡す場合と同視することはできないと当裁判所は考える。

九以上説示したところによれば本件退去強制処分には国際法上の権利の濫用があるとは言えず、また法務大臣が被控訴人の異議申立の裁決をするにあたり出入国管理法五〇条三号に定められた特別在留の許可をしなかつたことにつき人道上の要請に反し裁量権の逸脱または濫用があつたとすることはできない。

一〇それ故以上の判断と見解を異にする原判決は取消を免れず本件控訴は理由がある。

一一よつて民訴法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する

(谷口茂栄 荒木大任 田尾桃二)

別紙(一)

諸外国の犯罪人引渡法中の、政治犯罪人不引渡し条項一覧表

1 ベルギー 引渡法第一条 引渡犯罪を列挙、政治犯罪は除外。

2 フランス 引渡法第五条 引渡は次の場合には許諾されない。

二号、その犯罪が政治的性格を有するときまたは政治的目的をもつて引渡を請求していることが諸事情によつて認められるとき。叛乱または内乱の過程において、斗争に参加した当事者のいずれかによりその目的達成のために犯された行為については、それが憎むべき野蛮行為、または戦争法規によつて禁止されている破壊行為を構成する場合であつて、かつ内乱がすでに終結している場合でなければ、引渡は行はれない。

3 ドイツ 引渡法第三条 (1) 犯罪人引渡しは、引渡請求の原因となつた行為が政治的行為であり、又は政治的行為を準備し、容易ならしめ、隠蔽し、若しくは防止するという意味において政治的行為と関連を有する場合には許されない。

(2) 政治的行為とは、国の存立、若しくは安全、元首若しくはこれに準ずる政府の構成員、憲法上の機関、選挙若しくは投票に関する公民権又は外国との友好関係に対して直接向けられる可罰的な攻撃である。

4 ギリシヤ 刑事訴訟法四三八条 犯罪人の引渡しは次の場合には許諾されない。

(1) ギリシヤ国の法律上、政治犯罪、軍事犯罪又は税若しくは出版に関する犯罪に関するとき、当該犯罪が被害者の告訴をまつてはじめて訴追されるものであるとき、又は政治的目的のために犯罪人の引渡しの請求がなされているとの事情が認められることとなつたとき。

5 イタリー 刑法第一三条 犯罪人引渡は、イタリー刑法、条約および国際慣習によつて規定される。

刑事訴訟法第六六一条 略

9 ルクセンブルグ 引渡法第一条 引渡犯罪列挙、政治犯は含まず。

7 オランダ 外国人の引渡しに関し外国と条約を締結する際における共通の条件を定める法律 第二条 列挙、政治犯罪は含まず。ただし左の場合は引渡しが許される。

1(a) 友好国の王、即位した女王、君主その他の元首に対し、その生命もしくは自由を奪い、または統治を不能にする目的で加える攻撃。

(b) 退位していない王妃、王位継承者または、元首の家族の生命または自由に対する攻撃。

8 ノルウエー 引渡法第三条 引渡しは、政治的犯罪については行われない。政治的犯罪と関連し、かつそのさい目標とされた目的を実現しようとする意向をもつて行われた一般的犯罪についても同様である。

9 スエーデン 一九五七年法第六条 政治犯罪については引渡しは許されない、若しその犯罪行為が同時に政治的な性質でない犯罪を構成するときは、各特定事件における犯罪行為が非政治的犯罪の色彩が濃いと認められる場合に限りその犯罪につき引渡しが許される。

第七条 何人も、その人種、特定共同社会の構成員、宗教的又は政治的意見を理由として、又はその他政治的状況のため、その外国において生命又は自由に対する迫害又はその他苛酷な迫害を受ける危険があるとき又はかかる危険がある国へ送られることはないという保障がないときは引渡されることはない。

10 スイス 連邦法第一〇条 政治犯罪については引渡は与えられない。犯人が政治的動機ないし目的を主張するものであつても、引渡要求の対象となつている行為が主として一般犯罪を構成する場合には、引渡は許容される。

引渡が許容される場合には、連邦政府は引渡を要求されている犯人が政治犯罪について訴追され処罰されないこと、ならびにその政治的動機ないし目的について訴追され処罰されないとの条件を付する。

11 連合王国 引渡法第三条 逃亡犯罪人の引渡に対する制限

逃亡犯罪人に関しては、次の制限を守らなければならない。

(一) 逃亡犯罪人の引渡しを要求されている事件の犯罪が政治的な性質を持つている犯罪の一つであるか、又は、その者が人身保護令状によつてその面前に連行された警察裁判所判事若しくは裁判所又は国務長官に対して、その者自身がその者に対する引渡要求が実際には、政治的な性質を持つた犯罪についてその者を裁判し又は処罰することを目的としてなされたものであるということをその納得のいくように証明した場合には、これを引渡してはならない。

12 ユーゴスラビヤ 刑事手続法第四六四条連邦検察官はユーゴスラビヤ連邦人民共和国において政治逃亡の権利を有する外国人(刑法第九十七条第四項)又は政治的又は軍事的刑事犯罪が問題とされている場合外国人の引渡を許してはならない。

13 アメリカ合衆国 逃亡犯罪人引渡法第三一八五条 政治犯罪を犯したことで告訴されているものについてはその引渡を行つてはならない。

14 アルゼンチン 引渡法第三条 犯罪人引渡しは、次の場合は同意されない。

(2) なされた可罰的行為が、政治的性格をもつか、又は政治的犯罪と関連がある場合

15 ブラジル 一九三八年法第二条 引渡しは次に掲げる場合においても同意されない七 可罰的行為が

(c) 政治的または世界規約犯罪であるとき、政治的な目的ないし動機の主張は、その行為が主として刑法の一般的侵害を意味するとき、または前記第七号のいずれかと混合した一般的犯罪が主要な行為であるときは、引渡しをさまたげる理由にならない。

16 メキシコ 引渡法

17 中華民国 引渡法第三条 犯罪行為が、政治的性質を有するときは引渡しを拒絶することが出来る。

18 インド 引渡法第七条 (2) 治安判事は、特に、その外国又は英連邦共和国を請求を裏付けるため提出される証拠及びその逃亡犯罪人が罪に問われ又は有罪判決を受けた犯罪が政治的性格の犯罪であるか又は引渡犯罪ではないことを示す証拠を含め逃亡犯罪人のために提出される証拠を調査する。

第三一条 逃亡犯罪人は次の場合には外国又は英連邦共和国に引渡され又は返還されることはない。

(a) その引渡しが求められている犯罪が政治的性格のものであるか、若しくはその引渡の請求又は令状は事実上政治的性格の犯罪につき同人を裁判し又は処罰するためになされたものであることを同人が引致される治安判事又は裁判所若しくは中央政府の満足するよう同人が証明した時。

19 イラン 引渡法第八条 次の場合には引渡は認められない。

2 犯された犯罪が政治的性質のものであるか又はその事件の状況及び事態からその引渡が政治目的のものであることが認められるとき。内紛又は内乱の場合においては、犯された行為が残虐なものであるか又は戦争法規に反するものでない限り、引渡は認められない。右に該当する場合には内乱が終つた後に引渡は認められ得る。人の命に対する攻撃はいかなる場合にも政治犯罪とは考えられない。

20 イラク 引渡法第二条 この法律において「逃亡犯罪人」とは次の者をいう。

(a) イラク国の国境外で可罰行為(政治的又は軍事的性質の可罰行為を除く。)を犯したことにより刑事手続を受けている者であつて、当該行為がイラク国において行なわれたとしたならば、一年の拘禁刑以上の刑罰に処せられるべきもの

21 イスラエル 引渡法第二条 犯罪人の引渡しは、次の場合にのみ許される。

二 犯罪人が請求国において政治的性格を帯びない可罰的行為の被疑者とされ又は裁判所により有罪判決を受けたものであつて、その犯罪行為がイスラエルで行われたとした場合、この法律の附表に掲げるところにあたる犯罪行為の一つであるとき

22 レバノン 刑法第三四条 犯罪人引渡しは、次の場合にも許容されない。

一 引渡しが政治的性格の可罰行為を理由とするものであるとき、又は政治的目的を遂げようとするものと認められるとき

23 リビア連合王国 刑法第九条 (1) 犯罪人は次の場合に引渡すことが許される。

五 当該犯罪行為が政治的又はこれと関連するものでないとき

(2) 国の政治的利益又は個人の政治的権利を侵害する犯罪行為は、本法の下において政治的犯罪である。その為普通の犯罪であつても、犯行の主要な動機が政治的理由に基づくものであるときは、政治的犯罪とみなされる。

別紙(二)

ヨーロッパ犯罪人引渡し条約一九五七年一二月一三日パリ

European Convention on Extradition

第一条(引渡し義務)

この条約の当事国は、以下に定める規定と条件によつて、請求国の司法官憲からある犯罪のゆえに追求され、または刑罰の執行のためもしくは保安および矯正のために捜索されている人物を相互に引渡す義務を負う。

第二条(引渡さるべき犯罪)

第三条(政治犯罪)

一 もし、追求されている犯罪が被請求国により政治的もしくはそれと関連した犯罪とみられる場合には引渡しは許されない。

二 通常犯罪の引渡し請求が、その人を、その人種、宗教、民族あるいは政治的意見のゆえに訴追または処罰する目的でなされ、もしくは追求されている人がこのような理由から迫害の危険にさらされるであろうと、被請求つ国が信ずるに足りる十分な根拠がある場合にも同様とする。

三 この条約の適用元首またはその家族の生命に対する侵害は政治的犯罪とみなされない。

以下略

加盟国 オーストリヤ、ベルギー、キプロス、デンマーク、西ドイツ、ギリシヤ、アイスランド、アイルランド、イタリー、ルクセンブルグ、オランダ、ノルウエー、スエーデン、トルコ、イギリス、マルタ。

(控訴人の主張)

第一 政治犯罪人不引渡しの原則と国際慣習法の成否

原判決は、政治犯罪人を引渡してはならないという国際慣習法が確立されていると認定している。控訴人は原審で主張したように、かかる国際慣習法は確立されていないと考えるがさらに、原判決の認定に対して次のように反論する。

一 国際慣習法が成立するためには、具体的な国際慣行が確立され、それに加えてその慣行が法的拘束力を有するものとして国際社会で認められていることが必要である。

ところで、現実の慣行として原判決が認定しているところは、一九世紀末頃以降逃亡犯罪人の引渡しに関する条約二(国間の)では、ただ一つの例外(一八八八年のロシア、スペイン間の条約)を除くすべての条約で、引渡犯人に政治犯人を含まず、かつ政治犯罪人は引渡さない旨の規定をおいていること、政治犯罪人不引渡しを規定する条約の大部分は義務的命令的な形で規定し、ごく少数のものが権能的許容的な形で規定し、諸国の国内法でも義務的命令的な形で政治犯罪人の不引渡しが定められている場合が多いこと、憲法上政治犯罪人不引渡しの規定を持つ国が多くなつてきていること、ここ一世紀来具体的実行においても政治犯罪人の引渡しを拒絶していることである。

問題は、以上のような慣行が単なる事実上の慣行に止まらず、法的拘束力を有する国際慣習法となつているかどうかいいかえれば、政治犯罪人不引渡しを国家の義務とする国際慣習法となつているかどうかにある。

この点の認定の根拠として、原判決は、多くの条約や憲法その他の国内法令で、政治犯罪人不引渡しを義務的命令的な形で規定していることを挙げている。この考え方は、政治犯罪人不引渡しが単なる国家の権能の発動にすぎないならば、国家に不引渡しの義務を負わせる規定を設ける必要ないしは意味がないというものであろう。しかしながら、一般に憲法その他の国内法令において国際法上は国家の義務ではないことを国家の義務として規定することはままあることであつて、国内法令の規定から直ちに国際法の成立を認めることはできない。したがつて、重要なのは条約の定め方である。しかし、二国間の条約で一方の当時国の負う義務は他の当時国に対するものであるが、一方の当時国からなされる逃亡犯罪人の引渡要求に応じないという義務を、引渡しを要求される国家が要求する国家に対して負うというのは無意味である。したがつて、二国間の条約で政治犯罪人不引渡しを義務的な形で定めてあつても、その意味は不引渡しの義務を定めたものと解することはできない。この点について、当該犯罪人が引渡し要求の当事国の国民ではなく、第三国が外交保護権を有する場合もあり、不引渡しの義務を定めることは無意味ではないとの見解がある。しかし、二国間の条約では政治犯罪人不引渡し義務を定めるのが無意味であるというのは、引渡しを要求する国に対してその要求を拒否する義務を負うというのは論理的に無意味であるというのであつて、外交保護権を有する国家が引渡しを要求するということによるものではないから、このような見解は誤つている。以上の次第、二国間の条約において不引渡しが義務的命令的な形で定められているからといつて、条約上不引渡しの義務が定められていると解しこれを根拠として不引渡しを義務とする国際慣習法が成立していると認定することはできない。二国間の条約で政治犯罪人不引渡しについて義務的命令的な形で規定されていても、二国間の条約という性質上それは政治犯罪人が引渡しの対象とならないことを明確にし、強調した趣旨のものにすぎないと解するのが相当であろう。

さらに、少数ではあるにせよ許容的な形で規定した条約のあることは不引渡しが一般的な義務であるという慣習法の成立を妨げるものである。許容的な規定の下では引渡しをすることも可能なのであつて、そうなれば不引渡しが義務であることと矛盾する。逃亡犯罪人引渡条約で政治犯罪人不引渡しを規定するのは、引渡義務の対象から政治犯罪人を除くためであるから、許容的な形での規定のあることが不引渡しの義務があるとの認定の妨げにならないという議論があるか、もしこれが正しいならば、同様に義務的命令的な形での規定のあることも不引渡しの義務の存在を認定する根拠にならないということになろう。

以上のように、政治犯罪人不引渡しに関する規定が大部分の条約や国内立法で義務的命令的な形で規定されているということは、不引渡しを義務付ける国際慣習法の成立を認定する根拠にはならないと考える。

二 政治犯罪人不引渡しが「原則」と称されていることも、不引渡しを義務とする国際慣習法の成立の根拠にはならない。すなわち、原則と称されていることから、当然に規範性を有することになるかどうかについても問題があろうが、かりに政治犯罪人不引渡しの原則が規範性を有するとしても、政治犯罪人の不引渡しが逃亡犯罪人引渡条約のある場合には、政治犯罪人不引渡の規定がなくても、条約上の義務違反にならない、あるいは条約のない場合には国際礼儀に反しないという内容の慣習法であると考えることも可能であつて、政治犯罪人不引渡しが「原則」と称されていることは不引渡しが義務となつていると認定する根拠にはならない。

三 原判決は、国際法が人種の尊重に重点を置くようになるに従い、どうみても純粋な政治犯罪とみえるものについては、人権尊重の立場から、国家は政治的便宜の考慮を押えて、不引渡しが「原則」として法的意味をもつことになつた、と解するのは根拠のあることであるという。しかし、歴史的に見るならば、政治犯罪人不引渡しの慣行の成立には、単なる人道上の立場だけではなく、逃亡政治犯罪人を保護することが自国の政治的立場上有利であるという配慮が強く働いていたことは否定し難いところである。いいかえれば政治的便宜と人道主義の二つが政治犯罪人不引渡しの慣行が国際社会で行なわれるようになつた実質的理由である考えられる。このような歴史的事情から見ると、政治犯罪人不引渡しの原則は、すくなくともその成立の当初には国の政治的便宜を押えて不引渡の義務を課するものでなかつたと解されよう、ただ、その後国際社会において人権尊重を重要視する傾向が強まつて来てはいるけれども、国が人権を尊重すべきことが一般的な国際法となるまでには至つていないことから考えて見れば、政治犯罪人不引渡しの原則が、たとえどうみても純粋な政治犯罪とみえるもの(このようなものがあるのかどうかも次に述べるように問題であるが)についてであつても、政治的便宜を押えてまで不引渡を義務付けるものに変つていると解する根拠は乏しいと考えられる。

四 歴史的にみるならば、元来、国家は逃亡犯罪人を引渡し又は引渡さない自由を持つているのであるが、逃亡犯罪人を引渡すことが国際間の慣例ないし礼譲となり、政治犯罪人不引渡しはこの慣例ないし礼譲の例外として認められる至つたものである。

このような政治犯罪人不引渡しの原則の性格からみるときは、政治犯罪人不引渡しの原則だけを取り出して不引渡しが法的に義務付けられているという意味での国際慣習法になつていると考えるのは甚だ根拠に乏しいものである。

五 原判決は、政治犯罪の概念が多義的、不確定的であることが国際慣習法の成立を妨げるかという点について、政治犯罪人不引渡しの原則が「どうみても政治犯罪であるという厳格に純粋な政治犯罪に当るものに限られ、これを確定することはさして困難ではない」というが、相対的な政治犯罪についてはもとより純粋の政治犯罪についてもその意義は複雑多義でいまだ一致した解釈は見出されていないのが現状であつて、原判決の見解は首肯し難い。

六 さらに政治犯罪人は、手続的に請求国から政治犯罪処罰のための引渡請求があるか、或いは政治犯罪について有罪について有罪判決を受けるか、または起訴されるか、逮捕状が出ている等、請求国によつて当該犯罪人に対する処罰のための行為が行なわれていることが必要とされていて、かかる要件は国際慣習法の成立の認定にあたつては厳格に解すべきであるにもかかわらず、原判決は、これと同視しうる程度に処罰の確実性があると認められうる事情があれば足りると解しているが、全く根拠のない見解であつて誤つている。

第二 原判決は政治犯罪人不引渡しの原則の解釈適用を誤つている。

一 右に述べたように、原判決認定の「政治犯罪人不引渡しの原則」は国際慣習法ではないと解すべきであるが、かりにき、国際慣習法たる性質を有するものがあるとしても、その内容は現実に国際社会で行われている慣行、すなわち前述したように本国から逃亡した犯罪人について本国から処罰の引渡要求があつた場合に、逃亡先の国家がその者の犯罪を政治犯罪と認めれば引渡さないという慣行が国際法上の義務になつているというに止るべきものである。一般に国際慣習法は現実の慣習の範囲内でのみ成立すべく、特に国内社会と異なつて法的な統制力の弱い国際社会においては、この点が厳格に解釈認定されなければならない。

しかるに原判決は、なんら現実の慣行に基づくことなく、この原則を不当に広く認定したもので誤つている。その詳細は次のとおりである。

(1) 政治犯罪人不引渡しの原則は本国からの要求に対し犯罪処罰のために引渡す場合にのみ関するものである。しかるに、原判決はこれを外国人の追放の場合にまで拡張するという誤りを犯している。

(2) 政治犯罪人不引渡しの原則は、「逃亡」犯罪人引渡しについての原則であり、右の政治犯罪人は、政治犯罪処罰を免れるために「逃亡」した者に限られる。しかるに原判決はこの要件を無視している。

(3) 政治犯罪人不引渡しの原則の手続的要件(形式的要件)は本国が政治犯罪処罰のために引渡しを求めているということである。しかるに原判決は、本国からの引渡し要求がなくても本国における政治犯罪による処罰が客観的に確実であることをもつてその要件を充足すると解している。すなわち「政治犯罪処罰のための引渡し請求」を「本国における政治犯罪処罰の客観的確実性」に置き替えてしまうという誤りをおかしている。

(4) 以上要するに原判決は、政治犯罪人不引渡しの原則が一八世紀以来の逃亡犯罪人引渡しという特殊な場合の中で生成されて来たものであるという歴史的事実、ことにこの原則生成の最も重要な根拠が、ここ一世紀来の逃亡犯罪人引渡しに関する多くの条約の規定によることを全く無視し、不当に拡大するものというべきである。

二 以上述べたように、いわゆる政治犯罪人不引渡しの原則が確立された国際慣習法として認められるためには厳格な要件が必要であり、この原則の適用を受ける者は、本国において純粋の政治犯罪を犯した者に限られ、しかもそのために有罪判決を受け、または訴追されているか、あるいは少なくとも捜査が開始され、これを免れるために逃亡して来たもので、しかも本国から引渡しを要求された場合に限ると解される。

しかるに、被控訴人は、勉学の目的で昭和二六年四月ごろ韓国釜山から福岡県大牟田港に密入国し、不法入国後約一〇年を経て南北朝鮮統一運動に共鳴して後記のような経緯で趙鏞寿の助命運動を行なつたにとどまり、韓国においてはなんら政治犯罪を犯しておらず、したがつて被控訴人に対する訴追がなされていないばかりでなく、捜査も開始されていないのであつて、もちろん韓国からわが国に対し、被控訴人の引渡しを求めてきた事実も存しないのである。ことに被控訴人はわが国へ不法入国したものであつて、滞在すること自体許されていないにもかかわらず、不法入国後の行為に原因する理由によつて、なんら本国から犯罪処罰のための引渡し請求がなされていないのに本国への退去強制を非難しているのであるから、本件は、国際慣行としての政治犯罪人不引渡しの原則の適用される事案とは遠く離れるものというべきであろう。

第三 被控訴人が政治犯罪による処罰を受ける客観的な確実性はない。

次に、原判決は、退去強制されるときは本国において政治犯罪によつて相当の処罰を受ける客観的確実性があるから政治犯罪人であるという。この見解の誤つていることは前述のとおりであるが、かりに原判決の見解に従つても、原判決の判断は、不法入国後の被控訴人の行為につき事実を誤認しかつ過大に評価したことに基因するもので、以下に述べる理由により被控訴人は政治犯罪人に該当しないことが明らかである。

一 原判決は、被控訴人が民団栃木県本部事務局長の職にあつたことをさして韓国特殊犯罪処罰特別法第六条にいう「社会団体の重要な職位に居た者」に該当する者と解するのが相当である、としているが、民団が右特別法第六条にいう「社会団体」に含まれるとの解釈はこれを争わないが、民団の地方組織である栃木県本部の事務局長のごとき者は同条にいう社会団体の「重要な職位に居た者」にはあたらないと解するのが相当である。

すなわち、民団は、昭和二一年一〇月三日在日朝鮮居留民団の名のもとに発足し、次いで同二四年八月一五日大韓民国が樹立されるや、同年九月二八日大韓民国居留民団と改称し現在に至つているが、その組織構成は、中央本部に決議、執行、三機関を設置し、全国七ブロックに地方協議会を設置し、その下部組織として地方本部を各都道府県に設けているのである。

昭和三六年当時の民団規約によればその中央組織は次のとおりである。

第九条 全体大会は本団の最高決議機関であり、議長及び中央議員並びに代議員で構成する。

1 ただし代議員は、各地方本部議事会と並びに中央議事会が承認した傘下団体の最高決議機関で選出する。

2 ただし、定員は中央議員総数の三倍としその配分の比率は中央議事会において決定する。

第一二条 全体大会において

議長 一名

副議長 二名

を選出する。

全体大会議長は中央議事会議長を兼ねる。

その他会議に必要な役員は議長がこれを指名する。

第一九条 執行機関は、大会において選出する団長、副団長並びに団長が任命する事務総長、次長、局長及び局次長でもつて構成し、決議機関の議決事項を執行する。

ただし、団長の任命した事務総長は、大会において承認を受けなければならない。

第二〇条 執行機関の部署は次のとおりとする。団長、副団長事務総長、総務局、組織局、民生局、文教局、宣伝局

ただし、必要により専門分科委員会を置くことができる。

第二二条 団長は、執行機関の首班であり、本団を代表する。副団長は、団長を補佐し、団長に事故あるときには団長の代理を行なう。

第二三条 事務総長は、団長の命を受けて各局長を統轄し、同次長は、事務総長を補佐し、事務総長に事故あるときには、その任務を代行する。

第二五条 中央監察機関は、大会において選出する監察委員長一名、委員二名で構成する。

第三〇条 地方本部は都道府県に置き、支部を統轄する。

ただし、前項の規定にかかわらず、中央議事会の承認を受けた場合には、都道府県以外に地方本部を置くことができる。

第三三条 地方本部規約は本規約に準じなければならない。

ただし

1 第一〇条の定期大会は四月中とし、第二〇条の事務総長は事務局長とし、局の部とする。

2 地方本部は中央総本部の指示を履行する義務を負い、支部を統轄する。

3 地方本部が機能を発揮することなく、または義務を実行しないときは、中央総本部は該当各機関を直轄する外中央議員及び代議員の発言を中止することができる。

右のように民団組織は強力な中央集権制度をとつていて、各都道府県に置かれた地方本部はすべて中央総本部の指揮下にあつてその指示を忠実に履行する義務があるのみならず、地方本部の役員についていえば、地方本部の規約は前記規約において中央総本部は三機関の長である議長、団長、監察委員長並びにそれを補佐する副議長、副団長及び監察委員のみが全体大会において選出されると規定されていることからみて、地方本部においても三機関の長及びその補助者を除いては単なる役員に過ぎず、また地方本部の役員のうち中央議員、代議員に選出されないものは民団の最高決議機関に参加することが認められていないのである。

ところで、被控訴人は昭和三五年八月一九日、それまで民団栃木県本部事務局長であつた趙鏞寿の辞任後空席となつていた事務局長の代理に任命され、翌三六年四月二〇日同本部第二三回定期大会において、正式に事務局長に選任されたものの同年一〇月九日同本部臨時大会において執行部不信任が可決されたため事務局長を辞任したもので、被控訴人が右事務局長在任中に中央議員、代議員に選出された事実はないのであるから、原判決が「民団県本部事務局長が同本部の事務上の最高責任者であり、団長らとその執行部を形成する者であることが認められる」という理由で韓国特殊犯罪処罰特別法第六条に規定する「社会団体の重要な職位にいた者」に該当すると判断したことは明らかに誤りであり、被控訴人は右特別法第六条にいう「社会団体の重要な職位にいた者」に該当しないのである。

二 原判決は、被控訴人が民団栃木県本部事務局長在任中、昭和三六年四月に行なわれた民団栃木県本部団長の選挙にあたり、韓国社会大衆党の党員で、昭和三五年七月二九日に施行された韓国民議院の総選挙に立候補して落選した裵基鎬を推薦し、その選挙の責任者となつて選挙運動の一切を指導し、同人をして同団長に当選させたと判示したが、被控訴人は前述のとおり昭和三五年八月一九日、それまで民団栃木県本部事務局長であつて趙鏞寿の辞任に伴い、空席となつた事務局長の代理に任命され、翌三六年四月一九日同月二〇日の両日開催された同本部第二三回定期大会において正式に同本部事務局長に選出されたものであつて、右定期大会において栃木県本部団長選挙が行なわれ、その際、前記裵基鎬と金相基の両名が立候補し投票の結果裵基鎬三四票金相基一九票で裵基鎬が同本部団長に当選したことは認められるが、右団長選挙に際し、被控訴人が裵基鎬を推薦しその選挙責任者として選挙運動の一切を指導した事実はなく、むしろ、被控訴人は事務局長代理として、中立の態度をとつていたことは、昭和三六年四月二五日付韓民栃木新報に掲載された団長選挙の経過と題する記事によつても明らかである。

三 また、原判決は、被控訴人が、昭和三六年九月八日東京日比谷野外音楽堂において趙鏞寿救命のための民衆大会の開催を計画し主宰しようとしたが、民団中央総本部幹部らから反政府運動とみられて妨害を受け流会になつたという事実を認定したが、右の民衆大会はかつて趙鏞寿が民団栃木県本部副団長を勤めていた関係から当時の同本部団長裵基鎬が同本部を主体に右民衆大会を計画し主宰しようとしたもので、結局、裵基鎬は同年一〇月二日民団中央本部から前記民団規約第三二条に基き一年間の停権処分に付され同月九日栃木県本部臨時大会において執行部辞任に至つたものである。

ところで、当時民団栃木県本部を構成していた三機関の役員は団長裵基鎬、副団長禹正九、同姜進旭、議長陳東徹、副議長梁成煥、同崔金哲、監察委員長金相基であるが、右のうち禹正九、姜進旭、陳東徹、梁成煥、崔金哲、金相基ら六名はいずれも再入国許可を得て昭和三七年二月から昭和四三年六月までの間に多数回にわたつて韓国を訪問しており、中でも崔金哲のごときは七回も韓国との間を自由に往復しているが、その間右六名ともなんら韓国において取調べを受けたり処罰を受けた事実がないのである。このことは原判決の指摘する昭和三六年九月八日開催される予定であつた東京日比谷野外音楽堂における趙鏞寿救命運動民衆大会なるものの開催計画責任者ならびに主宰者であつた当時の民団栃木県本部の幹部はだれひとりとして右民衆大会を開催し主宰しようとした責任を韓国において追及されたことはないことを明らかに示しているものであり、したがつて、当時右民団栃木県本部の事務局長を勤めていたに過ぎない被控訴人が前記民衆大会の件につき韓国において処罰を受けるおそれは全くありうるべからざることというべきである。

四 次に原判決は、被控訴人が昭和三六年九月八日趙鏞寿救命嘆願署名委員会名で国家再建最高会議議長朴正熙宛の抗議文その他のメッセージ等を発した事実を認定し、右は、「その内容が単に人道的見地から趙鏞寿の助命を訴えるというにとどまらず、それ以上に、趙鏞寿に対する死刑判決が不当であること、さらに朴政権の言論弾圧政策が不当であること、同政権が非民主的非合法的であること等をかなり激しい表現をもつて非難しているのにかんがみ、当然に言外に趙鏞寿の南北の平和統一の思想と言論を支持していることが看取され、少なくとも間接的に南北の平和統一を主張するもの、すなわち、間接的にしろ、北朝鮮の平和攻勢という名の間接侵略を鼓舞し、これに同調するもの、或いはこれを『助けたもの』である、と解せられる十分の根拠があるといわなければならない」と判示しているが、前記抗議文やメッセージの内容が朴政権を非難する表現を用いているからといつて、そのことから直ちに「間接的にしろ北朝鮮の平和攻勢という名の間接侵略を鼓舞し、これに同調するもの、或いはこれを助けたものである。」と結論づけるのは根拠のない推測というほかない。何となれば、現に昭和四〇年五月三日に結成された合法政党である韓国民衆党の決議文には、

(1) 朴政権は今進中の売国的韓日会談を無条件中断しその経緯と真相を国民の前に明らかにせよ

(2) 朴政権は韓日会談に対する国民の正当な主張と反対に対する反民族的弾圧を即時撤回せよ

(3) 米国をはじめとするすべての自由友邦は現在のごとき内容の韓日国交正常化は、互恵平等の原則と友好善隣の精神よりはずれた日本の利益だけを保障する結果をのみ招来するからわが国民は決してこれを堪耐することができない点を正確に認識してくれることを望む

(4) われらは朴政権が強固に正式調印を敢行し、国会の批准を強行する場合は重大な事態が惹起するであろうことを冷厳に警告する

(5) われらは朴政権の売国外交阻止のためにあらゆる犠牲を覚悟し最後まで斗争してゆくことを誓うものである。

とあり(統一朝鮮年鑑一九六五…六六年版)、右韓国民衆党は、朴政権を売国奴呼ばわりするほどの激しい表現で朴政権を非難しその政策に対し挑戦的な決議文を発表しているが、同党の代表最高委員朴順天はなんら処罰を受けることなく依然同党の代表者の地位にあることからみても被控訴人が前記抗議文その他のメッセージを発した事実が韓国において処罰の対象とされることはとうていありうべからざることである。

第四 本件退去強制処分は「政治犯罪人不引渡しの原則」にいう引渡しとは全く別個の処分である。

被控訴人は、わが国に不法入国したことにより退去強制令書の執行という手続によつてその本国たる韓国に送還されるべきものであつて、被控訴人を犯罪人として韓国に引渡そうとするのではない、

被控訴人が逃亡政治犯罪人不引渡しの原則の適用を受ける政治犯罪人に該当しないことはこれまで縷々述べてきたところであるが、原判決が、被控訴人に対する退去強制令書の発付処分は送還先を韓国と指定した退去強制であつて形式上は本国(韓国)への引渡しそのものではないが、退去強制令書の執行は送還先に送還してなされるものであり、その実質は本国(韓国)への引渡しとなんら異なるところはない、としている。

そもそも、犯罪人引渡しというのは、犯人の行為が自国の領域内で行なわれたものでなく犯行によつて自国の安寧秩序がみだされたというものでもなく、また、自国民の利益が害された訳でもない、つまり自国にとつて利害関係のない行為を行なつた人を、他国の刑罰権を表現させるために、わざわざ逮捕して他国に送り届けるという労をとることであり、したがつて他国に対するサービスにほかならない。これに反し、退去強制とは出入国管理令二四条各号の一に該当する外国人の本邦からの退去を強制することをいい、直接に当該外国人の身体に強制力を加えて国外に退去させるものであつて、犯罪人引渡しのごとく処罰を行なう権限を有する請求国の官憲に引渡すものではなく、この点において逃亡犯罪人の引渡しとは全く性質を異にする別個の処分である。なおこの点につき、一八九二年国際法協会がジューネーブにおいて採択した「外国人の入国許可及び退去強制に関する国際規則」は、その第一五条に「退去強制と犯罪人引渡とは、それぞれ別個の独立した処分である。犯罪人引渡の拒否は、退去強制権の放棄を含むものではない。」(高梨正夫著、密航者法論九頁)と規定しており、国際法上においても退去強制と犯罪人引渡は全く別個の独立した処分として明確に区別しているのである。次に、退去強制令書の執行についてであるが、退去強制命令を受けても退去しない者は強制的に送還するという手段で国外退去を強制することが必要となるが、どのような措置により強制力を加えるか、またその際どの程度の強制力を加えるのを妥当とするかは送還の方法の点で考慮されるべき問題である。退去強制は、外国人を国外に退去させる措置である以上、外国人を領境外に追放しさえすればその目的は達せられる。

しかし、国境が陸続きの場合には、右のような方法で退去強制を行なえるが、わが国では四囲を海洋に囲まれて海の国境しか存しないのであるから、退去強制を領海外への追放をもつて足りるとすることは、一応の行政目的を達したかにみえて、その実人道的見地からも実情に全く適しないものである。わが国から退去強制される外国人は、自己の費用で退去するか(出入国管理令五二条四項)、その乗つてきた船舶もしくは航空機の長またはその船舶もしくは航空機を運航する運送業者の責任で退去するか(出入国管理令五九条、同五二条三項ただし書)わが国の費用で送還されるか、または、退去強制を受けているのであつて、その実態は、たとえば昭和四三年を例にとると、退去強制を受けた外国人の約四四パーセントは自費で退去しており、これに運送業者等の責任で退去したものを加えると実に七二パーセントに及ぶ外国人が自費もしくは運送業者の責任によつて退去していて、この点からも退去強制される外国人は自費もしくは運送業者の費用で退去するのが一般的であるといえるのである。

したがつて、被退去強制者のもつとも多い韓国向けの場合は特にわが国の費用で送還船を傭いあげ主任審査官の依頼により海上保安官が韓国釜山まで集団的に護送しているのであるが、右はあくまでも退去強制令書の執行という退去強制手続であり犯罪人の引渡しという他国に対するサービスとはその本質を異にするものである。この点につき原判決が「その実質が韓国への引渡しとなんら異なるところはない」と判示したことは、退去強制の本質を全く理解しない謬論というほかはない。

ちなみに原判決は、「日本国から強制送還された者に対しては、韓国に上陸の際、特に北朝鮮との関係の有無について取調べがなされた北朝鮮スパイの容疑等で多数が逮捕された」と認定しているが、わが国から韓国に向け強制送還された者は最近の五カ年間をとつてみても、昭和三九年一、一一六名、同四〇年一、一三一名、同四一年一、一二六名、同四二年一、〇〇六名、同四三年八七〇名、計五、二四九名に上つているが、右のうち韓国において拘束された者はいずれも韓国よりわが国に向けて不法出国した容疑によるものであつて、北朝鮮スパイ容疑によつて拘束を受けるのではない。

韓国では、一九六一年一二月一三日密航取締法(密航団束法)を制定公布し、被送還者のうち韓国から不法出国の容疑のある者については同法の規定により取調を受けるのであり、「北鮮スパイの容疑等で多数が逮捕された」というがごときは証拠に基かざる独断というべく、また韓国の法制を無視するばかりか実情を曲解した誤つた見解というほかない。

(被控訴人の主張)

第一 政治犯罪人不引渡しの原則は、国際慣習法である。

この点に関する原判決の認定は正当であり、この上蛇足を加える必要はないが、重要な論点であるから、控訴人の反論に対応して被控訴人の見解を述べる。

一(1)(イ) 国内法令において、国際法上は国家の義務ではないことを、国家の義務として定めることはままあることは否定しない。

(ロ) しかし、国際法上国家の義務とされていることは、理論的には当然に又憲法九八条二項からも、当然国内法令においては国家の義務と規定されている筈である。したがつて、国内法令においては、国際慣習法で定まつていることを、明文で規定し、あるいは細目的に規定することはしばしばある。

(ハ) (ロ)で述べた如く、国際法上国家の義務とされていることは、国内法令上もすべて国家の義務と規定されているのであり、国際法上国家の義務でないことを国家の義務として国内法令上に定めること(この様に定めることは決して国際法に反するものではない)は、ままあるに過ぎない。このままあるにすぎない国内法令と国際法との関係から、多くの場合にそうであるような国際法と国内法令の規定の一致を否定しようとするならば、それを主張する者が挙証すべきである。

(ニ) 政治犯罪人不引渡しについては、一つや二つの国家の国内法のみではなく、別表に示すとおり、世界の主要文明国の殆んどが義務的命令的な規定をもつている。これは、国際法上国の義務でないことを、世界中の殆んどの国々がたまたま、同じように国内法令において義務付けたもの、各国の政策の偶然の一致にすぎないもの、と解するのは不合理である。

各国家間に、政治犯罪人をその本国に引渡してはならない、という共通の規範意識が存在していたと解するのが合理的である。

(2) 二国間の条約で、一方の当事国の負う義務は、他の当事国のみに対するものであると解するならば、又国際慣習法の存在を全く考慮しなければ、逃亡犯罪人不引渡しの義務を、引渡しを要求される国家が要求する国家に対して負うというのは、確かに無意味である。

しかし、当該条約上の義務は、当事国に対してのみ負うものではなく、相手国に対する関係だけで理解されなければならないものでもない。国際社会一般に対する義務を負う場合もありうる(ジエノサイド条約)。引渡しを要求することあるべき相手国を含めて、一般に政治犯罪人を引渡してはならないという国際法上の義務を、二国間条約に表現し、確認することは充分ありうることである。

かつ、そう解することによつて、義務的に表現されている条約の規定を合理的にとらえることができる。そうでないとすると、明確に義務的に定めた規定(例えば日米犯罪人引渡条約第四条では、「if―demanded for an offences of a political character, Surre-nder shall not tale plan」)を控訴人の如く、“義務的命令的な形で規定されていても、二国間条約の性質上それは政治犯罪人が引渡しの対象とならないことを明確にし、強調した主旨のものにすぎないと解するのが相当であろう”とあいまいなくるしいぼかし方をすることになる。政治犯罪人が引渡しの対象にならないことを明確にするというのは、やはり不引渡しが国の義務であると解することになるのではないだろうか。

そうでないとすると何を“強調”しているのか。要するに控訴人の議論は論理的に破綻している。又“不引渡しを規定するのは、引渡義務の対象から政治犯罪人を除くためである”という控訴人の理解は、引渡しを拒否しうる許容的、権能的な規定例(外的なもの)にはあてはまるが、殆んど大部分の条約の規定は義務的命令的であるからそれらに妥当しない。

これらの義務的、命令的規定の背後には、同じ内容の国際慣習法が存在するのである。

(3) 外交保護権については、二国間条約の一方の引渡請求国の外交保護権は、政治犯罪人についてはおよそ考えられず、政治犯罪人の不引渡についてかかる権利がおよそない以上、不引渡の義務が対応的に考えられるわけがないという、不引渡義務論に対してなしたものである。不引渡の慣習法規を否定しうるならば別として、不引渡について外交保護権が一般にないというのが誤りであることを、そこであきらかにした。その限度で、前述の不引渡義務否定論を反駁していることにはいささかも変りない。

(4) 純粋の政治犯罪人に関する限り(しばしば政治犯罪人一般について)、多数の二国間条約は、すべて不引渡を命令的、義務的に定めている。全く例外的にそうでないのがあるといわれるが、それは過去の歴史的存在か、そのような規定または措置について特有の事情が考えられる場合に限られる。

従つて、このような例外的な許容的規定は被控訴人の不引渡義務に関する実証的結論を動かす意味をもつものではない。

このような例外的な許容的規定は、犯罪人引渡義務に対する例外規定としておかれている。つまり政治犯罪について引渡義務を否定するのが主眼であつて、それは引渡しの許容と同一ではない。「不引渡義務の存否は、別の根拠から独自に考えうるし又考えなければならない」。殆んどの条約の規定が義務的、命令的であることは、「個別的条約の一致にすぎないもので」はなく、国際社会に共通する規範意識が介在していることの証差である。

(5) 日米犯罪人引渡条約(四条)も、逃亡犯罪人引渡法二条も、政治犯罪人を引渡してはならないと義務的、命令的に規定している。現在の、すべての二国間条約及び各国の国内法令のほとんどが、例外なく義務的、命令的に規定している。

又大抵の学者が政治犯罪人不引渡の国際慣習法の成立を認めている。

国際的に最も権威のある国際法学会は、一八八〇年の決議第一三項で「犯罪人引渡は政治的事件に対して行つてはならない」と規定し、さらに一八九二年の規定案第一条では「犯罪人引渡は、純粋な政治的な犯罪又は不法行為に対しては認めてはならない」とし、第二条では、相対的政治犯罪をとくに区別しこれについても「道義及び普通法の観点からとくに重大な犯罪」が問題になる場合をのぞき「引渡はもはや認められないであろう」と規定している(高野雄一「退去強制と政治亡命の法理」法学ゼミナー五月号一五〜一六頁)。

歴史的にも、一九世紀以来諸国は政治犯罪人を引渡していないし、その引渡を拒む例は多い。

この様な事情の下に、法常識的にいえば政治犯罪人を引渡してはならない義務があると考えるのが正しい、控訴人の主張は、形式論理に走り、あまりにも技術的に過ぎ法律的に無理な議論というべきである。

二 「原則」という言葉にとらわれる必要はない。原則という言葉そのものにではなく、その実体、内容に則して考えるべきである。

「個人とくに外国人の入出国の規律が国際法上原則として国家の自由に属するという基本的に争はれていない一般的状況、その中で特別の原則としてとらえられ、条約や法令にまで、例外なくそれが表明されていることは、この政治犯罪人不引渡を、引渡、不引渡は自由であるが、条約あるいは法令でその特則を定めたものとしてとらへる(犯罪人引渡義務については、それを条約上の特則と解することに一般に争いはなく、したがつて犯罪人引渡の「原則」ということはいわれない)よりも、政治犯罪人は「引渡してはならない」という規範が、歴史的、社会的に定着してきた(したがつて「原則」といわれるに至つている)ことの表はれであると理解する方がより自然である」(高野雄一前掲一八頁)。

三 歴史的にみて、政治犯罪人不引渡の慣行の成立が、単なる人道上の立場だけではなく、逃亡政治犯罪人を保護することが、自国の政治的立場上有利であるという配慮が強く働いた、という控訴人の主張はその通りであろう。しかし、そのことから控訴人と同一の結論に到着するとは限らない。

人道的な見地、人権尊重の立場が作用して、法規範が成立することはしばしばある。しかし、それらの場合でも、人道的な見地からだけでそれらの法規範が成立するものではなく、同時に必ず政治的配慮も作用している。

政治犯罪人不引渡しの原則が、人道的見地からだけで成立したものでないのと同様に、政治的便宜の見地からだけで成立したものでもない。

それ故にこそ、政治犯罪の範囲、純粋な政治犯罪、相対的政治犯罪、残虐性の基準などが問題とされる。

このように、人道的見地と共に政治的考慮がはらわれるのは当然であり、その結果純粋な政治犯罪人についての不引渡義務としてとらえられるのである。

又、国が人権を尊重すべきことが、一般的な国際法となるまでには至つていない、という控訴人の主張も誤まりである。この点に関しては、原審における準備書面で詳述したところである。

結局、控訴人の主張は失当である。

四 一の(2)(4)(6)参照

五 政治犯罪の概念が多義的であることは認める、しかし、概念が多義的であることと学説が一致しないことは別に珍らしいことではないし、本件の場合に限らない。解釈は常に問題になる。概念が多義的であり、一致した解釈がないといつても、「この原則との関係でその原則の存在を否定しなければならない程不確定的とはいえない」し、条約、慣習法中にその概念が法的に存在しないことを意味しない。政治犯罪という概念そのものは、実定法の上でも学説の上でも広く認められて存在する。

ある特定の犯罪が、政治犯罪か否かを見る場合、どの考え方、どの学説を通じても政治犯罪、純粋な政治犯罪であると認定される場合がある。

従つて、政治犯罪の概念が多義的、不確定であることは政治犯罪人不引渡原則の成立を否定する論拠とはなりえない。

六 形式的、手続的要件は、国際慣習法の成立の認定にあたつては、厳格に解すべきは当然であるが、しかし右要件はその絶対的要件ではない。

それらの要件が必要とされる理由と、実質的に変らず、客観的に同一のことが証明されるならば、法律的には同一に考えてよい、控訴人の主張は、あまりにも形式的な見解というべきである。

第二 原判決は政治犯罪人不引渡の原則の解釈、適用を誤まつていない。

一(1) 控訴人は、政治犯罪人不引渡の原則は本国からの要求に対し犯罪処罰のために引渡す場合にのみ関するものであり、外国人の追放の場合には適用がない、と主張する。しかし、この不引渡の原則は、逃亡犯罪人を引渡す義務がある場合でさえも、政治犯罪人については引渡してはならない、という内容である。引渡し要求がない場合には、当然政治犯罪人を引き渡してはならない筈である。又、外国人の追放は、引渡しとは異るから右原則は適用されないというのも、極めて形式的な考え方であつて追放が「偽装された引渡し」にならないよう、実質的にみるべきである。

なお、第四参照のこと。

(2) 政治犯罪人が、政治犯罪に関し、他国に逃亡したことは、政治犯罪人不引渡原則の前提では必ずしもないことは、昭和四二年九月一二日付準備書面一、(1)、(ホ)で述べたとおりである。

(3) 手続的、形式的要件については、第一、六参照。

二 控訴人の主張は、前述のとおりその前提が誤まつている。

第三 被控訴人が政治犯罪により処罰を受ける客観的確実性があつた。

(1) 控訴人は、民団県本部事務局長は、韓国特殊犯罪処罰特別法第六条に規定する社会団体の「重要な職位にいた者」にあたらない、という。

(2) しかし、民団規約第三三条によれば、地方本部規約は本部規約に準じること、第二〇条の事務総長は事務局長とし、局を部とする、と規定されている。又、同第二〇条は、「執行機関の部署は次のとおりとする。団長、副団長、事務総長、総務局……」と規定し、同条第二三条には「事務総長は、団長の命を受けて各局長を統轄し……」と定められていることが認められる。

そうすると、民団県本部事務局長は、中央議員、代議員として民団の最高決議機関に参加することは認められないとしても、「県本部の事務上の最高責任者であり、団長らとその執行部を形成するものである」ことは明白である、そして、前記特別法第六条にいう社会団体の「重要な職位」とは、社会団体の最高決議機関の構成員に限定すべきではなく(そのような明文もない)執行部の構成員をも含むと解するのが相当である。団体の構成員や社会一般に及ぼす影響力の点で、両者の間に差異は認められないからである。

(3) 又韓国特殊犯罪処罰特別法第六条の規定の解釈適用は韓国におけるその実情、前例をこそ重視すべきであつて徒らな文理解釈をもてあそぶことは誤りである。そして韓国における右規定の解釈、適用の前例によれば、執行部構成員も、等しく重要な地位にいた者として処罰されている。

二(1) 被控訴人が、裵基鎬を団長に推薦し、その選挙責任者として選挙運動一切を指導したことは、まぎれもない事実である。

裵基鎬と趙鏞寿は、共に韓国社会党の党員であり、被控訴人は右両名の共通の親友であつて、思想を同じくする同志の間柄であつた。

趙鏞寿が韓国に帰り、南北朝鮮の平和統一のために論考を張つているのに刺戟され、それに呼応するべく裵基鎬が栃木県民団本部の団長に立候補した。

革新的な韓国社会大衆党の党員である裵基鎬が団長に立候補したことは、保守的な民団にとつて、まさに画期的な出来事であつた。それだけに保守陣営からの非難中傷が甚だしかつた。他面、進歩的な人々は、ひそかに応援をしていた、この様な事情のもとにおいて、被控訴人は裵基鎬を当選させるべく、あらゆる努力を尽した。

その結果民団はじまつて以来最初の革新的な執行部が栃木県に誕生したのである。

(2) 韓民栃木新報は、県民団本部が県在住の韓国人を対象として発行する新聞であるから、その記事の内容は一党一派に偏することは避けなければならない又革新的な執行部が出来たといつても、保守陣営の力は強く、執行部の失脚を狙つている状況である。

この様な状況の下で、しかも選挙直後である昭和三六年四月二五日付の新聞に掲載された、団長選挙の経過と題する記事の内容が中立的であることは、何ら異とするに足らない。そのことから、被控訴人が、裵基鎬の選挙運動を指導しなかつたと推定するのは、大きな誤りである。

三 昭和三六年九月八日東京日比谷野外音楽堂における趙鏞寿救命のための民衆大会の開催を計画し主宰しようとしたのは、民団栃木県本部団長の裵基鎬と同事務局長の被控訴人であつた。

思想を同じくし、かつ親友であつた趙鏞寿が南北朝鮮の平和統一という共通の思想の故に、朴軍事政権から死刑の宣告を受けたことを知つた右両名が、その救命運動の中心となり、積極的にそれを推進したのも、けだし当然であつた。

これに対し、その他の副団長、議長、副議長、監査委員長らは趙鏞寿の思想や主張に共鳴したわけではなく、救命運動を積極的に行つたわけでもない。単に人道的見地からその救命運動に同調したに過ぎない。

それらの者は裵基鍋や、被控訴人の熱意に引きずられて、前記大会に出席したというのが実状であつた。

それ故に、前記民衆大会を契機に執行部が辞任するに至ると、それらの者は、裵基鍋や被控訴人の思想や行動を非難し、民団中央本部の意向に同調し、朴政権を支持するようになつた。

それらの者が韓国に帰国しても何等取調べや処罰を受けなかつたというのは、当然であり、別に不思議ではない。しかし、裵基鎬や被控訴人を、それらの者と同視することはできない。これらの両者の間に存在する本質的な相異点を看過してはならない。

四(1) 朴政権が反共政策を最重要な国是としており、容共、反米的な言動に対しては、極めて厳しい弾圧を加えていることは公知の事実である。

韓国民衆党は、反共政党であることは、朴政権と全く変らない。従つて、容共、反米的な言動を行うこともないし、又行わないかぎり朴政権の弾圧を受けることもない。

しかし、その様な言動を行えば、処罰を受けるおそれは十分に存在する。同じ韓国民衆党の党員であり、元大統領であつた尹譜善が、韓国兵のベトナム派兵に反対したために、韓国の検察部から三度も呼出しを受けたことがあるが、元大統領であつたからこそ、その出頭要求を拒否することができたけれども、一般の者ならば、おそらくは処罰を受けたに違いない。

(2) 被控訴人が、趙鏞寿救命嘆願署名委員会で出した抗議文その他のメッセージ等の内容と、韓国民衆党の決議文とを比較すると、その間に左記のとおり本質的な違いが認められる。従つて後者の代表者がその抗議文のために、なんら処罰されないことをもつて、被控訴人も同様に処罰されないというのは明らかに誤りである。

(イ) 文書の発表された時期が異なる。

被控訴人が抗議文等を発表したのは、朴軍事政権がクーデターを起してから間もない時であり、未だ政権の基礎は固らず、反軍政府的な言動に対しては、神経質なまでに厳しく弾圧を行つていた。

これに比して、韓国民衆党が決議文を発表したのは朴政権が成立してからすでに数年を経過し、政権の基礎も安定していたので、容共、反米的な言論以外の言論に対しては、比較的寛大であつた。

(ロ) 文書の内容に本質的な差異がある。

右両文書の内容をクーデター直後朴軍事政権によつて強行された多数の弾圧事件の判決文や起訴状の内容と比較して見るとき、このことは容易に知ることができ先ずクーデター直後行われた弾圧事件の判決文や起訴状には次のように記載されていた。

「平和的南北統一のための南北協商、人土交流、南北交易を推進するため、分裂した国内革新系の団合と革新代弁紙の必要性を論議し……民族的自主的努力で南北協商の段階まで勢力を発展させよ……まず体育交流からでも始めよう……南北学生会談を開催せしめる……南北交易の時期は成熟した……祖国統一のために全民族が一つの方向に団結しなくてはならない。………等の各題目の下に社説、論説、記事等を掲載、発刊させ………」たことが、「……無定見な中立化案や政治的平和統一に先立つ南北経済、書信、文化交況および南北学生会議等は、大韓民国を民族的交流および援助との仮面下に、漸次的に赤化の機会を虎視眈々とうかがつている北鮮カイライ集団の、合法を仮装した赤道侵略方法として、かれらの一貫して主張宣伝しているいわゆる平和攻勢即間接侵略政策であつて……それを鼓舞同調するもの」(民族日報事件判決―甲三八号証)として、韓国特殊犯罪処罰特別法第六条に該当するとされ、又「南北学生会談と学生記者交流、学術討論会、あらゆる芸術、学問、創作の交流、学生親善体育大会を実現するという声明書を配布すること」(民統学生連事件一甲八号証」

「南北韓各民主民族の主体勢力の協調を通じた平和統一と、南北の書信交流と物々交換等を標傍し……支持し」、「……統一保留論は非民族的言辞であり、即時的な協商の用意を整え書信経済および文化交流を実現しなければならず、南北同胞達が会同する機会を達成してくれ」、「われわれは金剛山が見たい、平壌、ヌンナドウのしだれ柳等も恋しい」、「四〇万キロワットの電気を使うことができるのを拒否する理由がどにありますか」等のメッセージを採択発表すること(社会党事件―甲八号証)も、いずれも、前記特殊犯罪処罰特別法第六条に該当するとして、その主張者はいずれも起訴され、重刑に処せられている。革新党社大党幹部も殆んど同様の理由により処罰されている。次に、被控訴人の発表した抗議文の内容は次のとおりである。

朴正煕宛の抗議文には「……民主主義を自称するあなたたちは言論、出版、結社の自由等すべて基本的人権をふみにじつたばかりでなく、“民族日報”事件をねつ造し、趙鏞寿以下三名に死刑を他の幹部に重刑を科したことに対し、われわれは押えきれない憤怒を覚える。南北が平和に統一し単一民族が等しく幸福な生活を求めるよう主張したのが、何故死刑に価するかを、われわれはとうてい理解できない……」(甲八号証)又本国同胞に送るメッセージでは、南北朝鮮の平和統一こそが、祖国に新しい歴史をもたらし、幸福な生活と国造りが出来ること、韓国が南北に分断され、統一国家が構成されず、親兄弟が会うこともできず、便りすら交わせず、経済的自立もできないところに、祖国の不幸があるのだから、南北朝鮮の平和統一が重要であるのに、その事を主張した趙鏞寿が処刑されることは許せない、と主張している。

被控訴人のこれらの主張は、朴政権の反共政策に逆い、南北朝鮮の平和統一を要求するものであつて、前記弾圧事件の犯罪事実(判決文)や公訴事実(起訴状)と殆んど変るところはない。これは、とりもなおさず、被控訴人が本国において処罰される客観的確実性があることを示すものである。

之に対し、韓国民衆党の決議文は、容共的なものでなく、北朝鮮との親善、交流を主張するものでもない。朴政権の具体的な政策、すなわち韓日会談に反対する内容であることは事実であるが、しかし、韓日会談に絶対に反対するわけでもなく、互恵平等の原則と友好善隣の精神にはずれた韓日会談に反対するというものである。

従つて、互恵平等の原則と友好善隣の精神にはづれないものであれば敢えて反対はしない趣旨と思われる。又日韓条約が成立したのは昭和四〇年である。

戦後二〇年間日韓関係は正常化されないまま経過してきた。

従つて、その当時日韓条約を成立させなければならないという必然性は韓国自身にはなかつた筈である。同時に韓国民の与論も、日韓条約には反対論が強かつたので、韓国民衆党の党首を処罰するということは、最も拙劣な政策であり、朴政権がその様な愚策を行わなかつたのも当然であろう。

五 朴政権は、軍事クーデター以後反共軍事政策を強行して来た。その間、北朝鮮のスパイだとか、北朝鮮に行つたとかの嫌疑のもとに、国際法を無視して韓国人を諸外国かららつ致したり、正規に入国した在日韓国人を逮捕して日本に帰さず、或いは自国内の韓国人を逮捕したりして、多数の韓国人を死刑を含む重刑に処して来た。

これらの事実は、被控訴人に対する処罰の客観的確実性を裏付けるものである。

以下には、主要な事件を列挙する。

(1) 東ベルリン工作団事件

(2) 統一革命党事件

(3) 解放戦略党事件

(4) 荏予島事件

(5) ソウル師大読書会事件

(6) ヨーロッパ、日本地域における北朝鮮スパイ団事件

(7) 安元吉(三六才北灌州郡)事件

日本に密航し、北朝鮮行きを希望したかどで拘束されていた安元吉は、反共法が適用され、昭和四四年七月二三日ソウル刑事地法朴天権判事によつて懲役二年の刑の宣告を受けた。

(8) 金載華事件

金載華は元民団中央団長であつたが、昭和四二年六月八日の韓国国会議員選挙に当り、新民党よりその全国区の候補として一〇番目の推薦を受け(比例代表制)、正式に日本を出国して韓国に渡つて立候補した。

ところが、韓国情報部(CIA)は、金が選挙資金を在日朝鮮人総連合会(以下総連という)から受取つたという嫌疑のもとに同人を逮捕し、投票日の前日に同人をして立候補を取下げさせ、同人が総連系の雑誌「統一評論」の座談会で、南北朝鮮の平和統一を主張したことが反共法に違反するということで起訴し、現在に至るも勾留したまま裁判中である。同人が日本に再入国することは不可能であると思はれる。

(9) 尹赫孝事件

現民団栃木県本部宇都宮支部副団長であるが、子供が総連系の小学校に行つているために、韓国大使館にその旅券を取り上げられて、韓国に渡航することができなくなり、又民団県本部の役職に就くこともできなくなつた。

(10) 沈在玉事件

民団大阪本部副団長(現職)であるが、親戚の不幸があつたので韓国に帰つたところ同人が八尾市の総連の宣伝部長をしていたという嫌疑で中央情報部に逮捕の上ごう問され、又ヤミドルを持つているという事で起訴された、裁判の結果無罪となつて釈放され帰国した。

(11) ピカソ事件

クレヨンの製造者が、商品の商標にピカソの名前を使用したところ、反共法で告発された。

又テレビの司会者が、ピカソの絵をほめたところやはり反共法で告発された。

第四 本件退去強制処分は、被控訴人を本国へ引渡すことと、実質的には同一に帰する。

本国への退去強制処分(追放)と、引渡しとが、それぞれ別個の処分であることは控訴人の主張するとおりである。しかし、犯罪人の引渡しが、国家の外国に対するサービスであるというのは、国家対国家の問題であつて、引渡される個人にとつては、いずれも強制であることに変りはない。退去強制ということが、実質的に政治犯罪人を本国に引渡すことになるならば、それは許されない。別個の手段をもつて、引渡してはならない政治犯罪人を本国に引渡すことになるならばそれは許されない。

別個の手段をもつて引渡してはならない政治犯罪人を本国に引渡すことになるならば、その手段は合法化されないのが当然であろう。国際法学者フオシーニも「追放が偽装された犯罪人引渡しになつてはならない」といつている。

なお、控訴人は原判決が「日本国から強制送還された者に対しては、韓国に上陸の際、特に北朝鮮との関係の有無について取調べがなされ、北朝鮮スパイの容疑で多数が逮捕された」と認定したのは、証拠に基かない独断であると非難するが、甲十、十一号証によれば、右事実を優に認めることが出来、原判決の認定は正当である。

控訴人の非難こそ証拠を無視した独断というべきである。

第五 政治的難民を迫害の待つ国へ追放することは、国際法上禁じられている。

政治的難民をを庇護すること、それを国家の義務とすることは望ましいことであるが、被控訴人は現在、そこまで主張するものではない。政治的難民を迫害の待つ国へ追放することは、国家慣習法上許されない、と主張しているのであり、それを認める鑑定人や学説のあることは、すでに述べたとおりである(前掲準備書面二参照)。

現在、世界の五十数ケ国が加盟している亡命者の地位に関する条約(一九五一年)で定められている亡命者の範囲は「一九五一年以前の事態に基いて生じた亡命者」に限定されていたが、一九六七年(昭和四二年)一月三一日国連で採択された亡命者の地位に関する議定書により、亡命者の範囲に関する前記の時期的制限は撤廃され、ひとしく亡命者に適用される普遍的な条約となつた。

この事は、政治的難民に対し、その人権を守り、最小限度の救済の意味を持つところの迫害の待つ国への追放禁止ということが、諸国家間の共通の規範意識として定着してきた証左である。

今や、政治的難民を迫害の待つ国へ強制的に追放することは、国際慣習法上許されないのである。

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